●鎌倉宮 幽閉されて殺された、護良親王の怨念

JR鎌倉駅より大塔宮行きバス約10分、終点で下車するとすぐ目の前が鎌倉宮。大塔宮護良親王を祭神に祀り、縁結びや開運にご利益あるとして有名なこの神社の本殿裏手には、、その護良親王が幽閉されていた土牢がある。緑深い山をえぐり取ったような形の土牢は、間口、奥行きとも約4mほどの小さな窟で、日当たりは悪く、じめじめとした湿気に包まれている。護良親王は後醍醐天皇の第一皇子として生まれ、北条一族を滅ぼし、鎌倉幕府討伐を果たした英雄である。この功績により、征夷大将軍に任命された親王だったが、武家政権を狙う足利高氏(後の尊氏)の企てにより、建武元年(1335年)、捕らえられて鎌倉の東光寺の土牢に幽閉されてしまった。ここに9ヶ月間閉じ込められた末、高氏の弟、直義によって暗殺される。切り落とされた生首は竹やぶに捨てられ、その顔は長い土牢生活によって変わり果て、28歳の若さで無念の死を遂げた怨みのこもった表情だったという。生首が捨てられた首塚は土牢の右手に、そしてその生首を葬ったという墓が鎌倉宮の近くに建っている。ちなみに鎌倉宮は、明治2年に明治天皇が東光寺跡に創建したもので、土牢は当時のまま、苔むした岩に囲まれて残っている。

●東勝寺跡 北条一族870人の壮絶な最後

JR鎌倉駅より徒歩15分、小町大路から東勝寺橋を渡って山道を行く。昼間でもほとんど人気はなく、静まり返っている。日当たりの悪い陰気な山道を分け入るように進むと「東勝寺跡」の碑と「腹切りやぐら」がある。東勝寺とは鎌倉時代に栄華を誇った北条一族の菩提寺で、一族の滅亡とともに姿を消した寺である。護良親王の命を受けて、北条一族を滅ぼすために兵を挙げた新田義貞は、時の執権北条高時を東勝寺に追う詰めた。もはやこれまでと観念した高時はじめ北条一族は、敵に斬られるよりは、と腹をかき切り寺に火を放って自決した。「腹切りやぐら」とはまさしく一族が切腹した場所であり、岩山の横に掘られた小さなほこらには数多くの卒塔婆が並んでいる。壮絶な死を遂げた北条一族870人もの霊は、今なお成仏できないのだろうか。この付近に家を建てると、一族の亡霊に祟られるとか、夜中にコップ1杯の水を出しておくと、朝にはすっかりと無くなっているとか、薄気味悪い話しが伝えられる。16代に渡って続いた北条一族の終焉の地にしてはあまりにも粗末過ぎることへの怨みではないかと伝えられる。

●泣塔 動かすと泣き出す不思議な塔

護良親王が幽閉されて殺された土牢、北条一族が自害した腹切りやぐらと、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて血で血を洗う殺し合いが行われていた跡が鎌倉には各所にある。湘南モノレール湘南深沢駅前のJR 大船工場敷地内にある「泣塔」もそのひとつ。この地は元弘3年(1333年)、新田義貞率いる軍勢が北条一族と戦った「洲崎の合戦」の舞台で、泣塔は合戦の死者を弔うために当時の土地の人々が建てたもの。以後、この地に住む者はなぜか不運に見舞われることから、近くの寺にこの塔を移したところ、毎晩この塔からすすり泣きの声が聞こえるようになった。そのため、塔を元の場所に戻すと、泣声はぴたりと止んだ。時が過ぎ、昭和になって国鉄が工場を建設する際にも同様の泣声が聞こえたため、塔は再び元の場所に戻り現在に至る。 ※泣塔見学希望者は、塔を管理する国鉄清算事業団に事前連絡が必要 TEL.045-441-0981